マナーはなぜ必要なのか?!【ビジネスから日常生活まで】
こんにちは、好印象&チアーアップアドバイザーのまやっぴーこと三浦真弥です。
社会に出れば出るほどマナー、マナーと言われますが、そもそも「なぜ必要」なのでしょうか?!
この「マナーがなぜ必要なのか?!」という疑問はとても大切です。
必要性が分かれば身に付けようとする努力も違ってきますね。
もしマナーが必要ないと感じ、それを実践して「うまく行きました!」という人がいらっしゃいましたら是非教えて欲しいです!ホントに!
まやっぴー
マナーを拒絶してしまう理由
マナーには
- 言葉遣い
- 立ち居振る舞い
- 身だしなみ
などがあり、さらにそれぞれに何やら意味あるの?!という内容を感じさせるものがあます。
これが「マナーって必要あるの?!」と思わせる一つの原因かもしれないですね。
このようなマナーにおける「言葉遣い」や「立ち居振舞い」または「身だしなみ」というものは長年培われてきた智恵とも言えます。
少しマナーの歴史を紐解いてみましょう
食事のマナーが生まれた中世ヨーロッパ
ここで紹介するマナーはテーブルマナーです。
中世ヨーロッパ18世紀ごろに、今でもテーブルマナーの基本となっているマナーができました。
当時のフランス貴族達の食事は、テーブルにドカンと料理が置かれそれぞれ「好き勝手に取って食べる」というものでした。
食器は、スプーンしかなく食べる時は「手づかみ」で食べていたと言われております。
汚れた手は、テーブルクロスで拭き取ります。
自分の目の前の料理しか食べられないので、遠くの料理は人に取ってもらうといった具合だったようです。
この頃に、ちょっとしたマナーが存在していたようです。
• 食べ終わった骨などは元の皿に戻さない
• 食事中に鼻を鳴らしてはいけない
• テーブルの上や周囲に唾を吐いてはならない
• 鼻をかんだり、咳をするときはテーブルに飛ばないよう、後ろ向きで行う
これらのマナーは、14世紀ごろに出来ていたと言われております。
このマナーを見る限り、14世紀以前の食事風景ってちょっとゾッとしますね。
そして、15世紀に入りイタリアの名家で知られる、メディチ家のカトリーヌがフランスの王家に嫁ぎました。
その際に、付き添いの料理長が、あまりにもフランスのテーブルマナーが悪く、その野蛮さに驚きました。
そのカトリーヌの料理長が「食事作法50則」を作ったのです。
この「食事作法50則」は今のテーブルマナーの元となっており、かなに完成度が高いものです。
マナーの「常識」「普通」って?!
生活していて「普通はこうする」とか「常識ではこうだ」ということを聞いたりします。
でもこの「普通」や「常識」というものは人の価値観で変わります。
例えば、喫煙する人はその昔どこでもタバコが吸えました。
しかし今では、健康被害などから「分煙」ということが常識になっております。
「どこでもタバコが吸える」というのは喫煙者に取っては常識ですが、タバコを吸わない人に取っては非常識なので「分煙」という常識が生まれたといえます。
地域によっては、歩きタバコは条例違反となり罰金が取られる所もあります。
その他にも、吸い殻のポイ捨てなども問題にされております。
常識的にはやってはいけないと言えます。
しかし喫煙者にとっては「吸い殻ぐらい捨ててもいいだろう」とちょっと常識がズレます。
このように、あまりにも改善されない場合は、条例などで規則として定めるという手段になるわけですね。
海外などに行くと分かりますが、未だに「ポイ捨て文化が当たり前」の国が結構あります。
このように、ポイ捨てが常識という認識を変えるのは大変なものです。
なので、シンガポールのようにポイ捨てには罰金を取り、ポイ捨てという常識を変えているわけですね。
今では「歩きスマホ」や「スマホなどからのヘッドホンからの音漏れ」など問題になっております。
これらも、いずれは条例などで対処せざるを得ないかもしれませんね。
以前は、車の運転中にスマホをいじっていても、何も罰せられませんでしたが、今では「運転中のスマホいじりは違反」という常識が生まれました。
このように、マナーというのは「相互尊重」という考えから来ております。
これは「相手に不快な思いをさせない、そしてお互いに気持ちの良い時間を過ごす」という考えから生まれたわけです。
なのでタバコのことや、ポイ捨てのこともマナーの一つと言えます。
この「相互尊重」という認識が低いと法律や条例で規制せざるを得ないと言えます。
ということは「人としての程度が低いと法律や条例が増える」とも言えますね。
「法律にないから」とか、「罰せられないから」という理由で「何でもしていい」という考えはやがて自分の首を絞めて行くということです。
本来、法律や規則がなくても「常識」や「一般的な普通」と言われるものが守れていくのであれば法律も規則もない世の中になるわけです。
マナーにお世話にならない時はない?!
マナーは「相互尊重」つまり「相手に不快な思いをさせない、そしてお互いに気持ちの良い時間を過ごす」という考えから行くと、日常生活の中で、マナーにお世話にならない時はないぐらいお世話になってます。
例えば「電車が定刻通りに来る」とか「買った家電が壊れない」とか「約束の時間を守る」というようなことは広義な意味でマナーで支えられていると言えます。
「電車が時間通りにくるって普通じゃねぇ」と思うかもしれません。
前にも書きましたがこの「普通」や「常識」ということはその人の価値観であり、その人によって変わります。
海外では「電車は遅れてくるもの」というのが常識です。
また、待ち合わせの時間もとてもルーズです。
1時間、2時間遅れるのは当たり前だったりします。
買ったものに関しても、粗悪品が結構あります。
先日、海外で購入したPC用のUSBフラッシュが1週間で壊れました。
お店に事情を言っても取り合ってくれませんでした。
私たちはどれだけこの「常識」や「普通」に守られている判らないのです。
このように「相互尊重」という精神が洗練されビジネスマナーやテーブルマナーというものが形成されております。
いわば先人達の知恵ともいえるでしょう。
マナーは潤滑油
今まで書いたことを、少しまとめるとマナーは「相互尊重」から生まれた人とのコミュニケーションを円滑にする為の「潤滑油」と言えます。
いくら優秀なエンジンでも、エンジンオイルがなければ、焼き付けを起こしエンジン自体がダメになります。
人とのコミュニケーションを取るにあたりマナーは不可欠であると言えます。
それはまるで空気のような存在かもしれません。
普段あまり気にならないのですが、ないと困るものということです。
マナーを知らないとデメリットの方が多い?!
マナーを知らないとどうなるでしょうか?!
・食事中にくちゃくちゃ汚く食べる。
・時間を守らない。
・挨拶をしない。
・正式な場所でラフな格好をしてくる。
などなど、マナーを守らない人を想像してみてください。
もしこれってマナーじゃなく「当たり前のことじゃねぇ」と思った人は、前に書いたことを思い出してください。
「普通や常識はその人によって変わる」ということです。
マナーを身に付けていくということはこの「普通」や「常識」の質を上げていくことでもあります。
このようなマナーを守らない人に対して、大人社会では距離を置きます。
知らず知らずのうちに、自分の周りから人は離れていくでしょう。
それが大人の対応だからです。
しかし、このような自体になっても本人は気付きづらいのです。
わざわざ「あなたは常識がないのでちょっと距離を置きます」と言って離れていく人はいないからです。
ある時にふと「えっ、もしかして私って嫌われてる?!」と気付く時がくるかもしれません。
このような積み重ねが、あなたの人生になるわけです。
マナーを知った智恵者となるのか、マナー知らずの愚者になるのか、どちらが自分のためにいいかということです。
マナーは実践で磨けばいい
社会に出た時に、経験豊かな方々とも接していくわけですね。
その時に経験豊かな人の「常識」と自分の「常識」はもちろん違います。
そこで大切なことは「教えてもらえる自分であるか」ということです。
「言ってもらえる」ということはとても有難いことなんです。
注意や指導をしてもらえるうちが華です。
理不尽と思えるようなことでも、後から理解できることもたくさんあます。
先輩方から、色々教えてもらえる存在になっておくことが一つの「智恵」です。
教えてもらえる人になるには「私が、私が」の「我」を捨てて「ありがとう」の「感謝」の思いを深めていくことが大切です。
「ビジネスシーン」において、「食事」において、結婚式やお葬式などの「式典」において「相互尊重」を忘れないことが大切です。
そして「相手に不快な思いをさせない、そしてお互いに気持ちの良い時間を過ごす」ということを考えて行動すれば自ずとマナーを守った行動ができるようになります。
まとめ
マナーの必要性を感じない理由は過度なマナーの存在からそう感じる。
マナーの歴史を辿ると必要があって生まれたことが分かる。
マナーは「相互尊重」という「お互いに不快な思いをすることなく、楽しい時間を過ごすために生まれた」のがマナーである。
「常識」「非常識」は人の価値観で変わる。
共通認識にするために規則が生まれる。
広義な意味で「マナー」にお世話にならない時はない。
マナーは実際の生活やビジネスの中で磨いていく。
それには「言ってもらえる人」になることが大切。
結論、マナーは身に付けておくことで自分を助けてくれる。